私が物心ついた時の我が家はすでに貧乏な暮らしでした。
親に当時の事を話しても「うちは貧乏なんかじゃない、節約してただけ」と反論されてしまいました。
ですが、学校に持参する道具や地元のスポーツ団に入っていた私にスニーカーすら買ってくれなかったのでやはり貧乏なのだと思うんです。
当時の我が家は借家住まいで、お風呂もトイレもありましたがお風呂に入れるのは週に1回か2回がいいところで、洗濯も週に一度しかしてくれないので下着や体操着が臭いままだったのをよく覚えています。
恥ずかしい思いをしながらも大人になった私は、再び貧乏暮らしをする羽目になってしまいました。原因は自分自身の忍耐のなさです。
当時の私は就職した会社をいきなり退職して気ままなフリーター生活でした。
ボロアパートの家賃は2万円です。でも古いだけなのでユニットバスはついてました。
なぜ、貧乏暮らしをしていたかと言うと貯金をして英語の勉強をしたかったから専門学校への入学金を貯めていたんです。
しかし、物事は上手く運ばないもので当時付き合っていた彼氏がダメ男で最悪だったんです。
年上だったのですが、仕事は真面目に行かないし行ってもサボってばかりなのでクビになるの繰り返し。
終いには、私にもバイトを休めと命令する始末です。
私は食費を削る為に三食賄い付きのバイトをしていましたし、交通費も定期で買っているので家にいる方がお金がかかるので何とか理由をつけては仕事に行っていました。
私が毎月5万円づつ貯金しているのを知っていた彼は、お金を貸して欲しいと言い出すようになってからは最悪の日々でした。
ギャンブルやお酒、旅行など私のお金を当てにして派手に遊んでいる姿と貯金の残高がみるみるうちに減って行くのを見て別れを告げました。
彼から離れて、住み始めたところは家賃1万円のシェアハウス。
家具もついていたし、新しいバイト先へのアクセスも良くてそこに住み始めました。
減ってしまった貯金を取り戻す為に、昼間も夜も働いて当時の私はクタクタでした。
カップラーメンは高いので乾麺の蕎麦やうどんを買ってきては茹でて食べるだけの食生活で、栄養面は最悪だったと思うんです。
少しでも出費を抑えたくて、洋服はフリーマーケットで買い、化粧品はサンプルで済ませていました。
でも、頑張っていると良い事もあるもので、お客さんから高価なプレゼントやお土産をもらった時はリサイクルショップで換金して生活費に充てていました。
わたしの生活を見かねて、いろんな人が親切に缶詰をくれたり、お菓子を届けてくれたりしました。
貧乏ながらも、何とかやってこれたのは助けてくれた人がいたからです。
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