ヒロニャン情報局

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貧乏で高校進学を諦め就職を希望したあの日

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私は、シングルマザーの元で育ちました。定職になかなか就かない母親はシングルマザーで頑張ろうというタイプではなく、いわゆるどうにかなる、誰かが助けれてくれるだろうというようなタイプの人だったため、当然我が家は貧乏な生活を余儀なくされました。

平成の時代にランドセルは誰かが六年間使ったものをもらうのは当たり前、制服もお下がりなのでサイズが合わないものをもらうのが当たり前でした。

周りからも貧乏の認定されており、「お父さんいないから仕方ないよね」と同情されてしまうような状態で、貧乏を隠したくても隠すことができませんでした。

お金にルーズだった母親は、訪問販売などにひっかかりやすく、お金がないのに教材の定期講読、新聞の契約、布団の購入に無料だと騙されてガスの修理をして多額の借金を背負ったりしました。

自ら貧乏に突き進むタイプであるため、私は中学生になる頃には常に何か勝手に契約をしていないだろうかと不安になり、見慣れない書類はないかと探したものです。

無駄なお金は払うのに、電気やガスは毎月のように止まります。姉妹とは「明日電気止まるかもね」「ガスは明日だよね」と止まる日にちまで分かるようになっていました。

私は町営住宅に住んでいたので、家賃は安いのですが、家賃も支払っていない状態が続いていたのを知ったのは中学三年の時です。

役所の人が夜訪問してきて、玄関先で話している声に聞き耳をたてていると、「14ヶ月分未払い」「連絡もない」と攻められている声が聞こえてきたのです。

役所の人が帰ったあとに私が問い詰めると、「支払えなかったから仕方ない」と開き直り、「町営だから簡単には追い出せないから心配するな」と呆れた答えが帰ってきたのです。

私は、高校の受験を控えていたのですが、貧乏であるため通えるわけがないと悟り、先生に貧乏な我が家の現状を洗いざらい伝えて、高校には行けない、行ったとしても制服も何も準備ができないということを伝え、就職を希望しました。

ですが、先生は高校くらいは出ておきなさいと母親を呼んで説得を始め、先生から娘の幸せを考えてやってくださいと諭されているのを見て、虚しい気持ちになりました。

元々押しに弱い母親は進学を受け入れました。規則が厳しくない高校に入り、入学してすぐにバイトを始めました。

学校に必要なものはバイト代で支払うつもりでいたのですが、少ないバイト代を電気代などに当てるからと泣きつかれることもあり、どうしても足りなくなることもあり、高校時代も貧乏が定着して虚しい学生時代を過ごすことになりました。

支払えない分は先生に立て替えてもらうこともありましたが、どうにか無事に卒業出来、卒業後も立て替えてもらっていたお金を少しずつ返すために何度か母校にうかがいました。

最後の返済にうかがったとき、先生から「このお金は大切に使いなさい。」と受け取らず、菓子折りだけ受け取ってくれたのです。

貧乏でしたが、私は周りに恵まれていたのだと思います。それでも私はあのときのような惨めな思いはしたくないので、今は母親の元を離れて地道にコツコツ生きています。



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