ヒロニャン情報局

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夫の家に嫁いだ私が見てはいけないものを見てしまった体験

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私は地方に住む大家族の主婦です。我が家は5歳年上の夫と長男が地元の国立大学の大学生、次男が高校生、三男が中学生で、夫のご両親も二世帯住宅で同居しています。私が夫と知り合ったのは、勤めていた自動車部品メーカーで、夫はエンジニアで私は補助事務員として働いていた際、一緒に仕事をする様になり、段々と気心が知れて来て、夫から結婚を前提で正式にお付き合いして欲しいと言われ交際が始まりました。とは言ってもお互いあまり人付き合いの上手い方でなかったので、最初はとてもぎこちなかったのを覚えています。

その後、結婚して夫の実家が経営していた樹脂成形会社に夫が工場長として転職し、私もその会社に名目上だけ従業員として働いていることになり、実際は結婚して直ぐに長男が誕生したこともあって、家事育児を中心に生活していた頃のお話しです。


当時まだ20代後半だった私にとって、夫の世話や家事育児だけでも大変でしたが、それにも加えて大変だったのが、同居していた夫のご両親との関係でした。その頃はまだ二世帯住宅ではなく、住んでいた家も昔ながらの平屋で、住居自体は大きかったのですが、それこそ夜なべで草履でも編めそうなくらいの広さがある玄関と床が高くて本当に昭和初期の頃のような家の作りでした。そんな家で暮らしていた時、私達家族と夫のご両親が生活する空間とは何枚かの襖で仕切られた程度のものしかなく、時折、ご両親の喧嘩する声が聞こえてきました。

義父は非常に温厚な穏やかな人で、従業員約50人程度の樹脂成形会社の社長をしており、常に笑顔を絶やさない方でした。逆に義母は、とても強気な性格で、そろばん勘定も厳しく、妥協も許さない女性でした。ただ義父も義母も何故か嫁の私に対しては、決して怒らず優しくしてくれていたので、本当に大切にされていると感じていました。それでも夜中に時折ある義父母の喧嘩だけは馴染むことが出来ませんでした。

ある夜、夫が残業で帰宅出来ないと連絡を受けただ後、子供が発熱してしまいどうしようか困っている際、義父母のところに相談しようと襖を開けてみました。そこで私は、襖の隙間から見てはいけないものを見てしまいました。それは、義母が箒で義父を叩いていた光景でした。義父はただただひたすらうなだれていて、それを義母が鬼の形相で箒を持ち、仁王立ち状態で義父を殴っていたのです。何度も何度も。それで驚き直ぐに襖を閉めました。私は遠目に見ていて、二人も必死な感じでしたので、私が見たのは気付かれませんでした。仕方なく夫に連絡して、救急車を呼んでもらい、病院で治療してもらって何とか子供の発熱は止みました。

今はもう義父母も痴呆が激しくなり、価格競争で経営も悪化して会社は閉じて、夫は元々働いていた会社の関連企業に転職し、義父母は老人介護センターのデイケアを受けていますが、でもあの時に見てしまったあの光景は一生脳裏から離れず忘れることが出来ないままでいます。あの頃の義父母が喧嘩していた度に、義父が義母の箒で殴られていたのかと思うと、おとなしかった義父が何だか気の毒で仕方なくなることが今もあります。本当はもう記憶から消し去りたいのに。



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