ヒロニャン情報局

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交通事故で父親のいない家族となって貧乏な生活になりました。

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 私の家族は4人で団地で暮らしていました。私が幼稚園だった時に、父親が交通事故で亡くなってしまいました。私はまだ何が起きたのかよく理解できずにただ泣いていました。母には、お父さんにもう会えないんだよと聞かされていました。

それからは、母と3つ上の姉との生活が始まりました。突然の父親の死によって意気消沈していた家族でしたが、母は子供を守っていかなければならない為、しっかりしないといけないと仕事を探しに出かけました。

しかし、今まで専業主婦だった母は体調を崩しがちで、あまり働くことができない状態でした。そうなるとかなり収入も少なかったので、食べたいものも我慢の節約生活になってしまいました。
質素な料理しかない食卓にいつしか食欲すらなくなってきました。

お友達が持っているものが欲しくても買ってもらうことはできず、お菓子も買いたいものも我慢で、何でうちはこんなに貧乏なんだろう、と毎日悩んでいました。

姉は、私よりもほしいのがあるのにも関わらず、私を優先に欲しいもの買ってあげてとお母さんに話してくれていました。大きなものはお願いできませんでしたが、お菓子など小さい物は買ってもらうことができました。

こんな毎日の生活に、お父さんさえいてくれたらと考えると涙が止まりませんでした。でも皆の前ではないてはいけないと夜枕に顔を埋めては、声を殺して泣いていたのを覚えています。

母も姉も皆の前では泣かないようにしていました。泣けば皆が壊れてしまう気がしたので、あの頃の家族は、同じ気持ちだったのだと思っています。泣いてもわめいても前を向いていかなきゃ生活ができない状況でした。

小学生の時は、周りに私のように貧乏な生活をしている子などいなくて、とても辛かったです。
皆は、学校生活が楽しそうでしたが、私は給食の時間だけがいちばんの楽しみでした。

家では出てこない食べ物が食べられたのでいつもおかわりしていました。
でも周りからあまり良く見られてなかったようで、お友達は1人くらいしかいませんでした。
そのお友達は普通の家庭の子でしたが、私といつも遊んでくれていました。その子とは今でもとても仲良くしています。

私も成人になり、自分で働いてお金も得られるようになって1番頑張ってくれた母と優してくれた姉に感謝の気持ちで恩返しをしています。
貧乏でとても辛い時期もありましたが、精神面ではかなり鍛えられた自信はあります。



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