私は高校卒業してから地元の信用金庫に勤めた後、中学時代からお付き合いしていた1歳年上の彼氏と結婚して、彼の実家にお嫁に行きました。
今回は、そのお嫁に行った先での、彼の祖母との思い出をご紹介したいと思います。
最初に主人とその実家についてですが、主人は農協の職員をしていて、実家は茶農家でした。
そして、主人の実家には、主人のご両親の他に祖母が居て、主人の3歳年上のお姉さんも居ましたが、既に市外に嫁がれていました。
そんな環境の中、ちょっと私事で恐縮なのですが、実は結婚する前に、彼の子供を妊娠してしまい、彼の実家にお嫁に来た時は妊娠6カ月で、お腹もそこそこ大きくなっていました。
そんな私を一番やさしく迎え入れてくれたのが主人の祖母でした。
何かあるたびに大丈夫か心配していないか、気を使ってくれました。
当然、主人のご両親も色々気を使って下さり、本当に有難く思いました。
それから約4か月後、何とか無事に体重3500gの元気な大きな男の子を出産しました。
その後も、子育てで訳が分からない私をいつも祖母は支援してくれて、見守ってくれました。
最初は正直な所、少し鬱陶しいとか煩わしいとも思いました。
でも出産して半年ぐらい経った時のある出来事から、そのような不謹慎な思いは無くなりました。
その出来事は、突然起きました。
祖母が突然、救急車で運ばれたのです。
祖母はいつも近所にある畑に農作業をするのが日課でした。
その農作業場所で倒れているのを、近所の人が見つけて、救急車を呼んでくれたのです。
祖母は一命をとりとめましたが、暫くの間、市立病院に入院することになりました。
そこで精密検査を受けた結果、末期の大腸癌であることが判明しました。
最初に聞いた時はショックでした。
でも今にして思えば、当時すでに70歳を超えていた祖母も、日ごろから疲れが取れないとボヤいていたりして、それでも毎日、農作業を続けて、無理していたのだと思います。
私自身も何でもっと早く見つけてあげられなかったのだろうと、暫く悔やみました。
それから祖母は何かと、ちょっと出かけたくなると、私に声をかけるようになりました。
今にして思えば、残り少ない命を感じ取っていたのだと思います。
湖や花鳥園や海岸など、色々な所に祖母と子供と一緒にドライブに行きました。
そして、祖母は色々なことを話してくれました。
太平洋戦争時代のこと、茶農家に嫁に来てからのこと、主人の両親のこと、主人のこと等、どれほど多くの事を話してくれたでしょうか・・・当時、スマホがあったらなぁ・・・
録画しておけばよかったです。
それから1年後、祖母は他界しました。
家族みんな泣きました。
大声で泣きました。
私は実の孫ではないけれど、最後の最後でお世話になって、泣きました。
色々思い返すと涙しか出てきません。
最後に祖父が言ってくれた
「実の子供や孫たちよりも、いつも近くに居てくれたあんたが一番可愛いよ。最後まで一緒に感動をありがとうね。」って言う言葉は一生忘れません。
お婆ちゃん、ありがとうございました。