ヒロニャン情報局

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3歳で親が離婚

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 私の両親は、知人からの紹介で見合い結婚して、結婚12年目でやっと家庭裁判所を介して離婚が成立しました。ろくでなしの父が離婚を拒否したためです。結婚当初から夫婦仲は良くないようでした。
 結婚した背景は、昭和の半ば田舎の年頃の女性は結婚しないと周りから白い目で見られたり、内職のような仕事しかなくて生活が成り立たないためでした。父も母も歳が来たら結婚するものという昔の田舎の文化に従ったという感じでした。母は「学生の頃、好きだった人に顔が似ているから」という理由があったようです。
 結婚後、母は4人子どもが生まれました。長女、2年後長男、そのまた2年後次女、そのまた4年後に私が生まれました。父は、子どもが生まれるたびに母に向かって「畜生みたいにポンポンポンポン生みやがって」と言ったそうです。
 結婚生活は、次第に荒れてきました。父がろくでなしだからです。母に暴力を頻繁に、日常的に振るうようになったのです。特に、3女の私が生まれる前後が酷かったそうです。父の母への暴力により、警察を呼んだり行政の世話になったりを何度も繰返し、今で言うDV被害者が身を隠すシェルターに入ったことも何度かあったそうです。私たちこどももシェルターで生活経験があります。
 周囲の人もとても心配して母に離婚を勧めていました。ただ、母は当時、着物のミシン刺繍の内職と生命保険のセールスをパートでしていましたが、4人の子どもを養うにはお金が足りず、そこが大きな課題でした。経済的な問題で、離婚に踏み出せなかったようです。
 そして、結婚生活に限界が来たのは、私が3歳の頃です。父の暴力暴言がエスカレートし、母は鬱状態で掃除もできず、家の中はボロボロでした。離婚に応じなかった父を残して夜逃げのようにして引っ越しましたが、居場所を見つけれられて父との生活がまた始まりました。父は大工で、家に帰ると必ず酒を飲んで暴力は更にエスカレートし、生活は更に荒れ、長女は不登校になりました。父と一緒に愛犬を置いてきていて、父は愛犬を連れてこなかったのです。どうやら犬は捨てて自分だけ私たちのところに来たようです。それが、姉は未だに許せないと言っています。
 こうして限界がきて、家庭裁判所を経て離婚が成立しました。離婚成立後、私たち子どもは児童相談所に入りました。母は、児童相談所の隣にある特別養護老人ホームに努めた後、家政婦の仕事を始めて私たち子どもを引き取りました。こうして、私たちは母子家庭となったのです。

 昨年、父が生活保護を受けて特別養護老人ホームに入るので、その子供として何かしら援助が可能か、という手紙が行政から届きました。私は心理的援助も経済的援助も全て拒否し、こうした連絡は2度としないようにと行政に依頼しました。長女は、何かあったら連絡をくださいと返事したそうです。未だに、子どもたちの間でも父に対する感情や対応が全く違います。
 私の家庭は、離婚して良かった、私が生まれる前にでも、もっと早く離婚したらよかったのにと思います。それが母や姉兄の幸せにもつながったのだろうと、今も思います。


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