私が小学校3年生のとき、父が商売を始めました。ラーメン屋です。
それまでは商社で営業職でした。どんな商社だったかは覚えていません。
毎日帰りが遅かったのと私がまだ10歳にもならなかったころなので仕事の話はあまり聞けませんでした。
母はそれまでうちの近くの工務店で事務のパートを、たぶん10年以上続けていましたが辞めて父の店を手伝いました。
パートは昼過ぎまでなので、私が学校から帰るころには母も帰宅していました。
たまに母の帰りが遅い時は仕事場に行くと工務店の社長さんが相手をしてくれました。
父より身近なおじさんだったと思います。
当時、うちでは両親と2歳下の弟、そして父方の祖母との5人家族でした。
6畳2間のアパートに住んでいました。狭いアパートでしたが、父の収入はそこそこあったようで、貧乏な暮らしではありませんでした。
父が始めたラーメン屋はうちから車で1時間もかかる場所でした。
なぜその場所になったかは、両親が他界した今となっては尋ねるすべもありません。祖母も他界しています。
売り上げはあまりよくありませんでした。ただ、常連さんはそこそこついていたようです。
その常連さんは閉店間際の夜間の来店が多く、店主である父にビールを勧めたりするので、そんな夜は車で帰宅できなくなります。
そんなときは、店内の小さな座敷で布団を敷いて寝たそうです。
そのうち、帰宅しないことの方が楽なので両親が帰らない夜が続くようになりました。
最後には2週に1回程度になりました。往復2時間のガソリン代の節約もあったようです。
あとから聞きましたが、毎月のいわゆる可処分所得は数万円だったそうです。
そんな間に私と弟は食事をどうしていたかというと、祖母の世話になっていました。
父はそのわずかなお金から、私たち姉弟に不自由しないように貧乏させないようにと祖母へ食費を渡していましたが、祖母はそのお金をほとんど化粧品やアクセサリーの購入に充てました。
そして私たちの食事は当時3つ100円で売られていた、とあるマイナーなインスタントラーメンでした。ときどき特売で4つ100円にもなりました。
メジャーなラーメンが1袋50円のころです。これが毎食の食事になりました。
たまに「あんたたち、お腹すいてないよね。」と言われて夜の1食だけになることもありました。
一度、弟が両親の店に「お腹すいた」と電話したことがあります。
そんなとき祖母は逆上して当日と翌日の食事はなくなるのでした。
女の子の私は、ときどき祖母の買い物に付き合わされました。
化粧品店や百貨店のアクセサリー売り場です。
何か買うたびに「お父さんやお母さんに言ったらだめよ。商売が苦しくてお金がないんだから。」と言われました。
父は商売を始めて7年後に過労で他界しました。
店は閉めて、母は元の工務店に戻りました。中学生と高校生の私たちを養ってくれました。
皮肉にも私のアルバイトの収入を足すと以前より裕福に暮らせました。
祖母の私達への虐待を知っていた母は、父の他界とともに祖母を家から追い出して父の弟のところへ行かせました。
あれから40年以上経ちます。
今となっては幼少時の思い出ですが、それでも、いまでも息長く売られているあのマイナーなインスタントラーメンをスーパーで見かけることがあります。
あれを見ると今でも吐き気とめまいに襲われます。
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