ヒロニャン情報局

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子供の頃は支払いが出来ない家庭の生徒としてレッテルを貼られてしまいました。

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私は母子家庭で育ち、兄弟は4人もいました。

母親はいわゆるダメ人間であったため、四人も子供を育てて行かなくてはならないのに、仕事は短時間のパート、周りにも甘いのですがそれ以上に自分自身に甘く無計画な人であったため、我が家は究極の貧乏生活を強いられていました。


電気やガスが止まるのは日常茶飯事で、町営住宅に住まわせてもらっているのにも関わらず、一万円前後の家賃も払えずに、役場の人が何度も我が家にやってきてはお金の話をしている姿を見てきました。

当然のことながら4人いる私を含めた子供たちは進学のたびにお金がかかってきます。

制服や体操服も購入できすに、卒業した近所の人に制服をもらったりする姿を見ていると、我が家は洋服も購入できないほど貧乏なのだと実感しました。

小さい頃から散歩と称して畑の近くに生えている雑草を抜き、それをお浸しにして夕食にしていたこともありましたし、みんなが持っているゲームなど買えるわけもなく、友達の家を転々としてゲームをさせてもらっていたり、人気の漫画などを読んで、どうにかみんなの話題についていきました。

今思うと、貧乏が故に、自然と生き残る為のコミュニケーション能力を身に付けていたのかもしれません。

そのような環境では当然給食費など支払えるわけもなく、入学してしばらくすると、支払いが出来ない家庭の生徒としてレッテルを貼られてしまいました。

兄弟は全て2歳違いでしたので、一気に進学費用がかかります。

貧乏な我が家を思い、高校進学は諦めていたものの、学校の説得によって高校だけは出たほうが良いと言われ、一年からアルバイトができる高校を選択して進学をしました。

さすがに高校の制服まではもらうことが難しく、友達の親戚が経営をしている飲食店で皿洗いとして低賃金でアルバイトとしてこっそりと雇ってもらい、どうにはお金を貯めて制服を購入しました。

母親はというと、短い時間のパートしかしていなかったため、生活費はいつもかつかつなのですが、給料日には贅沢をしてしまう無計画さで、給料日になると冷蔵庫はパンパンになり、電気代などの支払いになるとお金がなくなってしまい、支払いができないとういうようなことを繰り返していて、どうすることもできない状態になっていました。

それが高校を卒業して就職するまで続いていきました。

一人でも稼げる子供できると、怠け者の母親は完全に働かなくなってしまい、お金を無心するようにもなったのですが、家計を兄弟で支えながら、どうにか生活が出来るようになったときには、働くものばかりだと家賃が上がるといわれ、出て行かざるを得なくなり、しかしおかげで貧乏な家庭から離れることができました。

今は母親を反面教師にして、あの時のようにならないようにがんばっています。

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