ヒロニャン情報局

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子供の頃はおやつや、おこずかいの存在を知りませんでした。

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物心をついた頃から、街並みから外れた山のなかにある、長屋のような作りの木製の朽ち果てた平屋に、両親と兄、姉と私の5人で住んでいました。

両親は二人とも働いていましたが、借金返済に追われていて、いつもお金はありませんでした。

小さい頃は、それが当たり前だと思っていたので、貧乏だという認識はなかったのですが、小学生に入ってからは、いじめの標的になりました。

髪の毛は、母親が自宅のハサミで切ったザックリのおかっぱ頭でしたし、着るものは、いつも同じものでしたので、同級生の目にも止まったでしょう。

家にお風呂もなかったので、匂いもしていたのかもしれません。

「いっつも同じ服着てんの。きったねえ!」と言われたのは、今でも鮮明に覚えています。

日々の食事は、お醤油をかけただけの茶色いご飯とか、茹でたスパゲッティにケチャップをかけただけのものなどでした。

当然おやつなどはありませんでしたので、花が咲く時期になると、花を摘み、その花芯をすすって、かすかな蜜の甘みを楽しんでいました。

子供の頃はおやつや、おこずかいの存在を知りませんでした。

あまりにもお腹が空いて、誰かが干していた干し芋を口にしてしまい、お腹を壊したこともありましたし、学校帰りに通る家から道路に伸びている蜜柑に手を伸ばして、怒鳴られたこともありました。

中学生になると、お下がりの制服をもらうことができたので、洋服の心配はしなくてよくなったのですが、部活動が始まり、ますます貧乏が目立つようになってきました。

基本的には、どこかの部活動に参加しなければならないのですが、どの部活も入ると、ユニフォーム代などが必要になってくるんですよね。

うちには、ユニフォームを買うために使えるお金などはなかったし、親に買って欲しいということもできませんでした。

結局、興味ある部活がないという理由で参加せず、周りからはさらに孤立する結果となってしまいました。

放課後は毎日、部活が始まる前に一番最初に昇降口を出て、全速力で走って家に帰っていました。

運動会など、お弁当が必要な時は一番苦痛でした。

みんなのお弁当に、チキンナゲットや卵焼きなどが入っているのを横目で見ながら、他の子達から見られないように、窓際に立ち、お弁当箱を高めの位置に持って、蒸したご飯と、小さなジャガイモのコロッケ1つだけが入ったお弁当を、さも沢山入っているように何度も何度も口に運びながら食べていました。

今はその場所を離れて生活をしていますが、子供の頃の貧乏経験のトラウマは消えず、昔住んでいたその地域を訪れることは、未だにできていません。

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