ヒロニャン情報局

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母子家庭で貧乏な生活を余儀なくされていました。

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母子家庭の三人兄弟姉妹の二番目として育ったのですが、母親はお金にだらしなくて貧乏な生活を余儀なくされていました。

小学校に入学するとき、周りはピカピカのランドセル、可愛らしい勉強机に文房具が当たり前だったのですが、私たち兄弟姉妹はどこからか譲ってもらったものばかりでした。

ピカピカのランドセルのなかで、使い古して色がくすんでいるランドセル。筆箱はありません。

机も昭和時代に使われていたような、色の濃い重い机。そこには知らないキャラクターのシールも貼ってあります。

平成を過ごした自分ですが、持ち物は全て昭和のもので止まっていました。

洋服も近所の人からもらったもので、周りは流行に乗ったおしゃれだったのですが、自分はシミもついていたり、一時期流行したキャラクターがついているまさに懐かしのもの。

そのような状態で小学校時代を過ごしていました。公共料金を支払うことが出来ず、町営住宅に住んでいたため家賃の支払いが滞っていても厳しく請求されるということもなかったためか、随分と支払いをしていなかったようです。

平成の中頃でも我が家はぼっとんトイレのまま。電気もガスも止まることが多かったので、帰宅するとろうそくを灯しているということも日常的でした。

公共料金は電気、ガス、水道の順番で止まります。水道まで止められたことは有りませんが、電気は止められることが多かったので、鍋でご飯を炊くことも少なくはありませんでした。

食事も散歩と称して食材集めから始めます。田舎であったため、雑草が生えている場所は多くて、袋をもって散歩にいき、その雑草を摘み取り、それがおかずになります。

といっても母親は料理が苦手なので揚げるが専門だったのです。油は何度も使い回された古いもので、少しの量で油臭くて食べられなくなり、あまり量が必要ないというのも今となると母親の策略だったのかもしれません。

ファーストフードも中学生になるまで食べたことがありませんでした。外食などほとんどできないので、有名なハンバーガーチェーン店には友だちに連れていかれて初めて利用して、席に座る前に注文したり、セットメニューはセレクトしなくてはならないことなど戸惑うことばかり。

平成の時代に平成で当たり前となっていることを、友達と出掛けるまで何も出来ていなかったのです。

貧乏でおこづかいなどもらえなかったので、夜中に懐中電灯片手に自販機のある場所、公園などを歩き回ってお金を作っていました。

自販機のお釣りいれや自販機の下はお金が落ちていることも多く、公園などもお金や置き忘れた漫画本などがあるため、それをもって帰り古本屋で売ってお金を作っていました。

今もその名残で自販機を見ると、お釣りのところを見てしまいますし、下を覗きたいという気持ちを抑えています。

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