ヒロニャン情報局

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夫が脱サラして起業したのが転落への始まりでした。

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元夫との離婚までの6年は、まさに忘れられない貧乏な生活をした時代でした。

東京出身の私は、上京して就職していた元夫と恋愛して結婚しました。

しかし、長男だからという理由で同居を決められ、元夫の『たった1年同居したら、必ず別居する!』に騙されて、同居になりました。

ある日、突然に脱サラと引越しの話をされて、驚きましたが、複雑な気持ちでした。

元夫はモラハラで、親に反発してましたが、今度は私や子供達が集中して攻撃を受けるようになるのだと確信しつつ、逆らえませんでした。

新築の家は、自分の起業の事務所にだけエアコン入れて、その他の部屋は無しでした。

一年で上手くいかなくなり、生活費が月に五千円しか貰えなくなりました。

足りない分は、へそくりでまかないましたが、住宅ローン、税金まで払えなくなり、公共料金も督促状が来る始末で、電気はちょくちょく切られるようになりました。

そんな時に、元夫が何もかも投げ出して失踪してしまいました。

結局、起業した会社は一年ちょっとでダメになりました。

この段階では、今思えばどん底ではありませんでした。

富士山の樹海まで行っても、何も出来ずに戻ってきた夫の次の仕事はブラック企業でした。

100%歩合制の販売会社で、社員は各自が事業主でテレホンアポインターを雇って営業をするのです。

ここで、借金まみれになってしまいました。元々生活費ぎりぎりなのに、仕事のほうでも赤字を出して、サラ金から元夫も私までも借りてました。

何社も借りると自分の名前では、借りられなくなると私の名義で借りまくりました。

電気・ガス・水道は直接出向いて、分割払いをして、何とか暮らしていました。

サラ金が返済日に返せないと、会社にまで電話がきて辛かったです。

サラ金のある人に『裁判所に行って相談したらいい』と教えてもらい、元夫と共に特定調停を受けて債務整理しました。

もちろん、家も手離しました。それでも、ローンは残高ありました。

働いても、ほとんどが整理した借金の返済にまわりました。

何を削るかというと、食費と交通費でした。

お米は、ある程度まとめてでないと買えませんでした。

小麦粉と卵を買えたので「はっと」を作って、納豆であえたり、きな粉かけたりを一日一食でした。

一回だけ、役所に生活保護の申請に行きましたが、年齢的に若いからと働きなさいと諭されて、だめでした。

もう、借金はしたくありません。

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