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兼業農家だった貧乏時代

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昭和40年代生まれです。父親は会社員でやっていましたが、高卒で働きだしたので、高給取り族ではありませんでした。

祖父は農業をやっていましたが、自分の家族、親戚に分ける程度なので、農業による収入は一切ありません。

母はパートで少し、収入はありました。テレビ番組でタレントさんが、昔、草を食べて暮らしていたという貧乏ぶりの話がたまに出てきますが、それに比べれば、まだ、良い方でした。

しかし、周りの家庭に比べると、貧乏だったです。

祖父は野菜をできるだけ、大きく育てて食べる方が得だからと、成熟するまで、育てます。

その為、食卓に並ぶ野菜は自分の家の畑で取れた野菜ばかりです。しかも、成熟しているため、硬めの野菜が大きな鍋一杯に出来上がっています。

しかも、夕食に並ぶ野菜の種類は1種類で、大量でした。

肉・魚を母は買ってきましたが、祖父の「倹約する」という目が光っているので、食卓に並ぶ肉・魚は申し訳ない程度でした。

もちろん、漬物は全て、家で作ったものでした。一時期、麦をご飯に混ぜて、食べていました。

親戚にはできるだけ、良い野菜を配るので、自分の家で食べられえるものは、残り物という感じでした。

両親が一生懸命働いてくれました。私と弟の学費、医療費、諸々の支出分がどれだけあるかという話を私たち子どもが寝静まった後で、両親夫婦二人でよく、小さな声で話していたのを、子供心に覚えています。

両親のお陰で、高校までは弟と二人、行かせてもらえました。昭和の時代だから仕方ない、昔はそうだったと思う人もいるでしょう。

でも、その当時の小学校、中学校の周りの生徒に比べると、貧乏でした。

両親二人のお陰で、周りの人には分からない様に、自分の子供が惨めな思いをしない様に、努めていてくれたために、私たち兄弟は貧乏さをネガティブに考えなくて済んだのだと今になって思います。

私は今、50代になりましたので、無事に会社にも勤め、勤務して20数年経つ様になりました。

今だからこそ、昭和40年代、50年代での低所得層が質素倹約に努めていたかが自分で良く分かる様になったのだと思えるようになりました。

それは、自分自身で、昭和、平成と時代の違いを比較することができ、自分でお金も真面目に稼ぐことができたからでしょう。両親の苦労に比べれば私の苦労はひどい事はなかったのでしょう。

父は、平日は会社員なので、会社勤めをしていました。週末は週末で、祖父と一緒に農業をやっていました。結局、父を一番働かせたのだと今はそう思っています。

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